映画は心の筋トレ

子どものころ観たゴジラ映画に始まって今も観続けている映画の備忘録

あっと驚くラストシーンのモノクロ映画.....「月曜日のユカ」

映像の早回しや、画面の縮小ほか多数のテクニックにより「テクニックの人」と呼ばれた中平康監督による作品。

ただ本作では、そのテクニックが映画の一部分を台無しにしているとも批判されているようです。

「小悪魔」「和製ブリジッド・バルドー」と呼ばれた加賀まりこさんの代表作の一つです。

1.あっと驚くラストシーンのモノクロ映画

1)モノクロ映画

本作はモノクロ映画なんですが、こういうのを観ると学生時代を思い出します。

私の場合、モノクロといえばクロサワでしょうか、やはり。

中学生になると一人で映画館へ出掛けるようになっていましたが、当時、よく観ましたね。

それから日活映画もよく観ましたよ。

石原裕次郎吉永小百合浅丘ルリ子芦川いづみ小林旭、などなど。

俺は待ってるぜ」(1957)なんかもモノクロでしたね。

実は、日活映画の多くはテレビで観ています。

学生時代、私の住んでいた地域では平日の午前中、テレビで邦画を放送してくれてたんです。

平日の毎日ですよ。

大学の授業が気になりつつも、やはり映画を観ずにはいられませんでした。

毎日毎日、だから邦画を観てたんです。

何の予備知識もないしタイトルも知らないような映画も多くありましたが、それでもひたすら観てましたね。

中でも、いまだに印象に残っているのは「悪名」(1961~)でしょうか。

勝新演じる八尾の浅吉と田宮二郎演じるモートルの貞(3作目からは弟の清次)の2人の掛け合いが面白くて、また田宮二郎の格好いいこと。。。憧れましたね~

あ、私のお気に入りの芦川いづみさんが出てた「あいつと私」(1961)みたいな青春物も好きでしたね~

これは中平康監督作品でした。

2)加賀まりこ

本作なんですが、ストーリー自体には感情移入できませんでした。

若い中尾彬を観ても、加賀まりこを愛人にしている加藤武を観ても、「つまらん男たちだなあ」っていう感じで。。。

どうしても単調で退屈に感じてしまって、眠くなりました。。。

加賀まりこさんは、でも、それはそれは魅力的ですよ。

終盤まではだから「ああ、これはただひたすら加賀さんを観る映画だ。加賀さんを観るだけで我慢しよう。」とずっと耐えていました?!

3)衝撃のラストシーン

ネタバレになるので書きません?!

是非、観ていただきたい。

ラストの埠頭のシーンには本当にびっくりしました。ギョッとしました。

最近、観た映画の中でもトップクラスの衝撃度でしたよ。

「ええ、まさか、まさかねぇ。・・・・えええ、えーっ!!!」っていう感じ。

そして、加賀まりこさんの表情が素晴らしいです。

素晴らしい「無表情」です!

恐ろしいです。

ラストのラスト、横浜の街を軽快に歩いていく加賀さん。

逆にもう笑っちゃって、拍手喝采してしまいましたよ。

ある意味、痛快でしたから。

なので本作はとにかく最後まで観ましょう。

2.「月曜日のユカ」の作品概要

作品概要

作品名:「月曜日のユカ」

監督:中平康

出演: 加賀まりこ

3.あとがき

加賀まりこさん出演の映画で印象に残っているのは真田広之さん主演の麻雀放浪記」(1984ですね。

オックスクラブのママ、本名「八代ゆき」を演じてられてとても強く印象に残っています。

そういえばこの映画もモノクロでした。

また観たくなってきましたよ。

これでいいのだ!男の本望を演じてみせた名脇役 俳優 高品格.....「麻雀放浪記」

阿佐田哲也氏の小説を元に作られた作品です。

本作は麻雀を知らなくても楽しめる作品になっていますよ。

私自身も麻雀のルールは知らないし全くやったこともありません。

また監督の和田誠さんはイラストレーターの方で、本作が初の監督作品でした。

彼の「お楽しみはこれからだ:映画の名セリフ」(1975)は、読みましたね。当時。

文章も彼の絵も良かったんですよ。

1.これでいいのだ!男の本望を演じてみせた名脇役 俳優 高品格

1)名脇役高品格

以下、ネタバレあります。

高品格演じる出目徳がヒロポンを打ちながら麻雀をし、ついに雀卓の上に突っ伏して事切れます。

他のメンバーに金品など身ぐるみはがされ、彼の遺体は家の近くの土手から投げ捨てられます。

(原作の小説では、衣類もすべて剥がされ真っ裸にされてたはずです)

遺体は土手をコロコロ転がっていき、家の近くのどぶに、ボチャーンと、うつ伏せではまってしまうんですね。

このシーン、笑ってしまいました。

その、コロコロ体が回って転がっていく様が妙におかしくて。

でも秀逸。

よくぞきっちりうつ伏せでどぶにはまりましたね・・・

高品格さん、凄いな・・・。

虚しいというか無常というか・・・このシーン、徹夜マージャンのあとの明け方、早朝のヒンヤリした空気も感じられて、余計に、冷え冷えとした、でもあっけない雰囲気が感じられて良かったですよね。

出目徳演じる高品格は、背をちょっと丸めて座っている姿がとても印象的でした。

このとき高品格さん、65歳。

初老のバイニン(商売人、つまり、ばくち打ち)、麻雀がすべて・・・とでもいうような雰囲気がよく出ていましたね。

惚けてて、でも太々しい、勝負には冷酷なオヤジ、そして彼の声が渋くてこれまたいいんです。

この出目徳の死のシーンを観て、ふと「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元(かうべ)を喪うことを忘れず」という言葉を思い出しました。

元は孔子の言葉だそうで、吉田松陰が書いた「孔孟箚記」という書物の中に出てくるんだそうです。

私は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」でこの言葉を知りました。

勿論、バイニン(ばくち打ち)と志士とは全く異なるものです。

ただ「志士は、その屍を溝や谷に棄てられてもよいと覚悟しておけ」という意味から、出目徳も、ばくち打ちは死んだらおしまい、身ぐるみはがされて溝に捨てられてもいい、と覚悟していたんじゃないかな、とふと思いましたよ。

ドサ健は言います。

「奴は死んだ、つまり負けたんだ。負けた奴は裸にならなくちゃいけねえさ。」

麻雀の最中に雀卓の上で死んでしまうなんて、残念無念というよりもむしろ「男の本望」を遂げた、という感覚なのかな・・・と思いましたね。

あっけない終わり方ですが、妙にさっぱりしているというか・・・「これでいいのだ!」ってとこでしょうか。

初めて本作を観てから数十年は経っています。

その当時、出目徳(高品格)にここまでの関心は持たなかったように思います。

やはり自分自身も年を重ねて、改めて本作を観ると、出目徳に一番惹かれてましたね。

2)男の顔は履歴書

本作で真田広之演じる坊や哲は16歳という設定なんです。

作中でも自分のことを「僕」と呼称するのが何か新鮮でしたね。

このとき真田さんは24歳。若いです。

惚れ惚れするような男前です。

顔が逆三角形なんですよ。

頬のたるみなど一切ない。

シュッとした男前です。

一本気で純情な青年を演じてました。

ラストシーン、ドサ健(鹿賀丈史)と女衒の達(加藤健一)が、疲れきったような、呆けたような表情をしているのに対し、坊や哲だけ、どこか明るい浮き浮きしたような表情を見せていたのが対照的でとても印象に残りました。

でもこのまだ子どもっぽい真田さんが、後にたそがれ清兵衛」(2002)であんな表情を見せるようになるとは・・・

一方、高品格さんは、1919年、漁師の息子として生まれ、中学を出て一時期、プロボクサーを目指してたんですね。

典型的なボクサー顔ですもんね。

で、3年後、役者を目指し、日活に入社します。

2度も応召を受けているんですね。

1939年のデヴュー。

嵐を呼ぶ男」(1957)でボクサー崩れの用心棒を演じたようにどちらかというと悪役、そして脇役一筋45年!

ついにこの「麻雀放浪記」で日本アカデミー賞はじめ助演男優賞を総なめ。

凄いですよね。

この一作のために45年、役者、脇役やってきたのかよ・・・って感じ。

まさに「男の顔は履歴書」だよなあ、としみじみ思いました。

ちなみに高品さん、1994年NHK大河ドラマの打ち合わせ後、帰宅途中、車の中で苦しみ、心不全のため亡くなられたそうです。

う~ん、まるで出目徳・・・

3)銀シャリ

徹夜マージャン明け、メシ家で坊や哲が「銀シャリ」と味噌汁を食べるシーンも印象的でした。

坊や哲にとっては「銀シャリ」は夢の食べ物だったわけですからね。

勝負に勝って稼げば、美味いめしが食える・・・という、刹那的ではありますが、ばくち打ち=勝負師の世界を象徴していいシーンでした。

ところでドサ健は、熱燗を飲んでますね。早朝から。

いいですよね、このシーン。

2.「麻雀放浪記」の作品概要

作品概要

作品名:麻雀放浪記

1984年公開

監督:和田誠

出演:真田広之

鹿賀丈史

加藤健

名古屋章

高品格

大竹しのぶ

加賀まりこ

3.あとがき

本作の共演者がまた皆、良かったんですよ。

キャラが立ってて。

鹿賀丈史加藤健一、名古屋章大竹しのぶ加賀まりこ・・・

篠原勝之天本英世もちょい役で出てるんですよね。

いや、皆さん素晴らしい・・・・

先日観たモノクロの「月曜日のユカ」

あれから、モノクロのこの作品をどうしても観返したくなりました。

若い頃、観た作品を年とってからまた観るのって、やはりいいものですね。

これが実話を基にした映画だとは考えさせられる.....「運び屋」

クリント・イーストウッドは1930年生まれですから、88歳の時の映画ということになりますね。
しかも監督・主演を務めます。

80歳代でシナロア・カルテルの運び屋になった退役軍人レオ・シャープの実話に基づく映画とのことですが、レオ・シャープは逮捕時87歳だったそうなので、年齢的にもぴったりなんですね。

彼が運ぶ品物の中身がコカインと分かっても運び屋を続けた理由を「コカインは人々を幸せにする植物だから・・・」と言ったそうですが、それってどうなんでしょうか。

そのあたりの感覚はわかりませんねー。

ちなみに原題の Mule ですが、「ラバ」「頑固な奴」という意味以外に「運び屋」という意味があるのですね。

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1.実話を基にした映画

1)色々と考えさせられる映画

とても良い映画でしたね。

様々な言葉が頭に浮かびましたよ。

「男の身勝手」「自分勝手」「仕事と家庭(の両立)」「後悔」「最晩年」「一度きりの人生」・・・

色々な見方が出来る映画だと思います。

でも主人公に共感は出来ませんでした。

家族を顧みず仕事一筋に邁進したんですよね。

家族が夫、もしくは父親を必要とする時に、男の方は最も働き盛りなわけで、どうしても家庭より仕事を優先してしまうのだと思います。

それはそう思います。

私なんかも少なからずそうでした。

それでも家庭のことなんかすっぱり忘れて仕事に没頭するなんてこともないわけです。

頭の片隅には帰りを待っている家族のことがちらついているわけで。。。

でもそれは女性の側から見たら男の身勝手だと言うでしょうね。

それもわかるんです。

というか私ももう若くはなくそういうことが理解できる年齢になったということでもあるのでしょう・・・。

主人公も後悔はしているんですけどね。

でも家族を持った以上、やはり責任はありますよ。

とはいえ一度きりの人生なんだから自分の思い通りに生きたい、というのもわかります。

というか、そこまで意識していなくても、彼は「デイリリー」栽培が好きで好きで仕様がなかったのでしょうね。

そして「ええ格好しい」のようにも見えます。

好きなデイリリー栽培して、稼いで、名声も得て、外で皆にいいかっこをする、社交的だし付き合い上手で、そして皆に好かれそうな人物です。

あくまで家庭外においては、ですね。

でも一方、家族の重要なイベントには顔を出さない、娘の結婚式にも顔を出さない、ということを貫くなら、晩年になって例え、自分の過去の行いを後悔したとしても、今更、家族の前に顔を出しちゃいけないんじゃないかなあ・・・とも思いましたよ。

以下ネタバレあります。

しかし奥さんはよく許しましたね。

「今更、改心されたって・・・」じゃないですか・・・私なんかでさえ、そう思いましたけど。

仕事と家庭とのバランスをうまく取れればいいのでしょうが、「言うは易く・・・」そう簡単なことではないですよね。

また「バランス」って何?と言いたい気もしてきました。

何をどうすればバランスがとれている、と言えるのでしょうね。

仕事に5割、家庭に5割・・・・なんてことでもないでしょう?

家族をもうけた以上責任がある、と言われると、では、はなっから家族なんか持たない人生を選択すべきでは・・・と言いたい気持ちもありますし。

しかし、そこまで割り切った選択ができるとも思えないのも確かで・・・。

いや本当に難しい。。。

自分が運んでいるものがコカインだとわかっても彼は止めたりしません。

金を稼げますからね。

それと彼の腕を買ってくれてるわけで、この年で評価してもらえる、頼りにされている、ということへの満足感、充実感もありそうです。

稼いだ金で友人を助けたり、抵当に取られた自宅を取り返したりします。

いつかつかまるかもしれないけど、とにかく金を得ようと考えたのか。

彼を必要とする人間がいて、それが生きがいになったか・・・

もう人生の最晩年、死ぬまでに出来ることはこれだと思ったか・・・

ああでもない、こうでもないと考えて、全然、割り切れませんでした。

主人公の生き方を理解できないわけじゃないけど、共感はできませんでした。

そして、あのラストシーンを観ると余計「あ、やっぱり身勝手だ・・・」と思いましたよ。

まあそんなわけで、これから人生において、自分はどうなのか?と考えさせられる映画でしたね。

その意味でとてもいい映画でしたね。

2)リンカーンとカーステ

そういう人生における後悔も悩みも、またコカインを運ばされていると知ってからの葛藤もあったでしょうが、当初、オンボロ車で、金を稼いでからは、LINCOLN(リンカーン)で、カーステレオから流れる音楽に合わせて歌いながら長距離を走っている時は忘れられたのでしょうね。

最高の時間だったのでしょう。

車を運転している時だけ、人生の悩みも忘れてられる・・・なんかわかる気がします。

このシーンが一番素敵な、というか微笑ましいシーンでした。

でかいアメ車、左ハンドル、なんてこれまで全く興味がなかったのですが、しかも狭い日本ではかなり不便なんでしょうが、でもそれでもいいなあと憧れを持ってしまいましたよ。

一度は乗ってみたいという気分にさせてくれましたね。

私はあのリンカーンの新車より、その前に乗っていたオンボロの車の方が年季が入っていて好きですけどね。

でも80歳代であんなでかい車を運転できるなんて、大した爺さんです。

3)年とると怖いものもなくなる?

カルテルの人間たち(人相も悪く物騒、あの世界の外国人てホントに雰囲気ありますよね・・・)とも徐々に親しくなっていきます。

彼らもこの年寄りに親しみを感じるようになってきたのでしょうね。

そして彼には長い人生の経験からの知恵も、そしてユーモアもあります。

こういうのを観ていると、年とると怖いものがなくなるのか、死ぬことも怖くなくなるのか、というようなことも考えてしまいました。

家族との問題を別にすれば、こんな風に飄々として身軽に生きられたらいいだろうな、とその点は羨ましかったですよ。

しかし88歳にしてこんないい映画を撮れるクリント・イーストウッドが凄いです。

この年齢にして、頭脳がクリアなんですね・・・

2.「運び屋」の作品概要

作品概要

作品名:「運び屋」(The Mule

2018年公開

監督・主演:クリント・イーストウッド

男のおもちゃの詰まった倉庫に憧れる.......「グラン・トリノ」

本作は2008年の映画ですから、1930年生まれのクリント・イーストウッド、78歳ということになります。

朝鮮戦争を経験し、フォード工場で50年勤務、年金暮らしをする頑固な老人を演じて、これまた渋くて、いい味を出してるんですよね。

タイトルになっている「グラン・トリノ」は、72年型グラントリノ、ファストバック、コブラエンジン搭載の車のことで、1972年~76年に生産されたものを言うらしいです。

1.倉庫・道具・工具・ガレージ・・・はおもちゃ箱

1)ストックBOXばかり増える

何でこんなに物が増えるのだろう・・・とちょっとため息をつきながら、それでもいそいそと百均で収納のための箱・・・ストックBOXを購入してきて、様々なお道具?を並べて整理するのって、意外に・・・、いやいや・・かなり・・・好きなんです。

ここで道具と言っているのは文房具と及びそれに毛の生えた代物。

例えば、ハサミ・カッター・のり・ボンド・セメダイン・テープ・定規・クリップ・メジャー(巻き尺ですね)・虫メガネ・タコ糸・指サック・ペンチ・レンチ・ドライバー・・・などなど。

手指を切ってしまうこともあるので「傷テープ」なんてのも入れてます。

今のところ「大・中・小」の3種のボックスがあり、「よく使うもの」「時々使うもの」「滅多に使わないが、ここぞという時に使いたいもの」と分類しているんです。

カッターなんてこれまで何本買ったことでしょう。

小さいものから段ボールカッターまで。

「よく切れる!」とか商品案内にあるとつい手が出てしまう。

まあ、きりがないです。

そうやって整理するために買っているのじゃないかという疑いも生じかねない・・・。

でも今、必要! という時に手元にないと嫌なんでしょうね。

なのでホームセンターなどで気になった道具があったらつい手が出てしまうんです。

困ったもんです。

でも好きだから仕様がないですよね。

2)倉庫

自分のお気に入りの道具とか工具とかを収納して、それからそれから・・・お気に入りの車なんかもそこに置いておける倉庫って憧れますよね。

それも家の中の一部屋じゃなくって、家とは別に外にある、倉庫、warehouse、あるいはガレージ。

ここに整然と、いや雑然と様々な道具類があって、靴のまま出入りできる倉庫。

ちょっと油の匂いなんかしたりして。

クリント・イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーは、50年かけて様々な多種多様の道具・工具類を手に入れてきています。

それらが整然と並んだ倉庫を観たらたまりませんよ。

仕事の道具をおもちゃと言ってはいけないのでしょうけど、でも男の憧れ・夢を表す言葉として、私はあえて「男のおもちゃ」と言いたいです。

ウォルトはそれらを丹念に手入れして(時には磨いて)使ってきたのでしょう。

男の憧れの一杯詰まったおもちゃ箱・・・いや、倉庫に憧れますね。。。

3)グラン・トリノパブスト・ブルー・リボン・ビール

ウォルトがグラン・トリノを運転しているシーンはなかったように思います。

ただ丁寧に磨いて、玄関前のチェアに座ってビール片手に眺めるだけです。

でもこのシーンはとてもいいですよね。

ピカピカに磨いた自分の愛車を眺めながらのビール。

ところでこのビールは「パブスト・ブルー・リボン・ビール」というものらしいです。

画面を観てすぐわかったわけではありません。

アメリカのビールと言えば「バドワイザー」と思っていましたが、この「ブルーリボン」も有名なんですね。

夕暮れ時に「グラントリノ」を眺めて「ブルーリボン」を一杯。

お気に入りのシーンになりました。

2.「グラン・トリノ」の作品概要

作品概要

作品名:グラン・トリノ」(Gran Torino)

監督・主演:クリント・イーストウッド

3.あとがき

本作のラストはまた良かったですね。

自分の命がもう長くはないと悟ったウォルトが最後にけじめをつけるわけですが、そのまえに少し時間がありました。

どういう方法でけじめをつけるべきか、どうすれば最も効果的なのか、を考えていたのでしょうね。

カッと来て短絡的に復讐するわけではない、最後に乗り込むまでの間が印象的でした。

そうそう、あのウォルトが指で拳銃の引鉄をひく真似をするシーンを観て狼よさらば」(Death Wish)(1974)チャールズ・ブロンソンを思い出しました。。。

「おっとぉ~?!」どんでん返し 映画 名作と言えば.....「真実の行方」

1996年公開の法廷ドラマですが、サスペンス映画といったほうがよいでしょうね。

ある殺人事件の裁判が紛糾を極める中で、驚くべき事実が判明します。

しかし話はそれで終わりません。

最後の最後に驚きのどんでん返しがあります。

また名優・怪優(?)エドワード・ノートンが200人以上のオーディションから抜擢されて映画デビューを果たした映画でもあります。

本作は今でも「どんでん返し」映画ランキングにおいて上位にランクされる名作ですよね。

1.どんでん返し映画の傑作

1)1996年・・・暗黒の時代

本作は1996年の公開なので随分、前の映画ということになりますね。

1996年頃ということになりますと、自身の映画遍歴においては暗黒の時代(?)です。

忙しいサラリーマン時代。

毎日の業務と営業成績に追われ、夜は顧客を接待し、接待がなければ上司のお供をしと、まともに家に帰れる日などない日々。

家に帰ればまだ小さい子どもたちがいて、休日ともなれば日頃の罪滅ぼしとばかり、公園にプールにとせっせと出掛ける日々。

休みの日は一日ゴロゴロしていたかった・・・のですけど、それは許されません。

映画館に出掛けるのは、子どもたちを連れて行く時だけでした。

東映マンガまつり」とか・・・

何を上映していましたかね・・・当時。

ドラゴンボール」「Dr.スランプ アラレちゃん」「スラムダンクあたりでしょうか。

私はと言えば、当時はVHSビデオの時代。

レンタルビデオ屋で映画ビデオを借りてくるか、テレビ放送されている映画をVHSビデオに録画するか。

近所のレンタルビデオ屋もこじんまりした店で中年のおじさん一人でやってるようなお店です。

じっくり映画の並んだ棚を眺めて映画をチョイスする・・・なんて出来ません。

ぱっぱっと選んでそそくさと引き揚げる・・・という感じ。

それになんか独特の匂いがしていたんですよね。店に入ると。

今でもその匂いを覚えています。

テレビ放送されている映画もよく録画してました。

予約機能はありましたから夜中の放送だろうが何だろうが、ガンガン録画してましたね。

でも何度も再生・巻き戻ししているうちに、テープが絡まったりして。

ビデオデッキから絡まったテープを外すのがこれまた大変で。

でもそれが当たり前の時代。

というか数年後にデジタルの時代が来るなんて夢にも思いません。

子どもたちのためにもデイズニー映画はじめビデオもたくさん買ってあげましたよ。

「アラジン」「美女と野獣」「ライオンキング」「トイストーリー」などなど。

何度も何度も擦り切れるんじゃないかと思うほど、飽きずによく観るんですよね。子どもって。

子どもたちと一緒に観て、一緒に大笑いしたのが「クールランニング」(1993)

ジャマイカボブスレー男子4人乗りチームが、カナダのアルバータ州カルガリーで1988年に行われた冬季オリンピックに初出場した実話を基に制作された作品なんです。

これは面白かったですよ。

まだ小さかった子どもたちも爆笑でした。

小中高及び大学と、あんなに映画館に通っていた私ですが、この頃は家でビデオかテレビ放送を観る程度になってしまってました。

2)どんでん返しの先にあるもの

本作についてはネタバレはやめておきましょう。

エドワード・ノートンは本作が映画デビュー?!

末恐ろしい若者です。当時。

いまや本当に名優になられましたけど。。。

本作には突っ込みどころもありますし、既に20年以上経過した現在では、パターンも知られてきて、ある程度、結末のどんでん返しも予想できるのかもしれません。

でも1996年にこんな映画が作られたかと思うと驚きです。

それに俳優たちの名演技にも支えられています。

どんでん返しの後、何ともすっきりしない複雑な気分で映画を観終えるということになります。

裁判所前で弁護士のマーティン(リチャード・ギア)のコートの裾が風にはためくシーン。

何とも寒々とした空気が流れます。

「虚しさ」「虚脱感」「空虚感」・・・苦い後味が感じられて、ここ、名シーンだなと印象に強いです。

2.「真実の行方」の作品概要

作品概要

作品名:「真実の行方」(Primal Fear

監督:グレゴリー・ホブリット

3.あとがき

どんでん返しの映画では、アガサ・クリスティ原作の「情婦」(1958)(原題:Witness for the Prosecution)が面白いらしいですね。

監督はビリー・ワイルダー

ビリー・ワイルダーというとお熱いのがお好き」(1959)「アパートの鍵貸します」(1960)「フロント・ページ」(1974)といったあたりが印象に残っていますね。

コメデイの監督という印象でしたが、この「情婦」は是非、観てみたいと思っているんです。

どんでん返し映画の古典 日本語タイトル付け方に疑問?.....「情婦」

本作は、1957年製作のアメリカ映画で、アガサ・クリスティの小説及び戯曲『検察側の証人』を原作とする法廷ミステリー作品です。

どんでん返し映画の傑作としていまだに取り上げられる古典的作品です。

1.どんでん返し映画の古典 日本語タイトル付け方に疑問?

1)どんでん返し映画の古典

先日「真実の行方」(Primal Fearを観ましたが、その際、ドンデン返し映画の中でもトップクラスに評価されているこの「情婦」を知り、早速、観てみました。

エンディングクレジットにて「本作の内容を誰かにしゃべらないように」とわざわざ注意喚起されてもいますし、それでなくてもこの傑作についてはネタバレは厳禁といたしましょう。

なのであまり語れません・・・

一言で言うなら「無茶苦茶面白かった」です。

本作はモノクロ、冒頭からの出演者たちのやりとりやスローな展開に「やっぱり昔の映画だなあ、退屈かも・・・」とちょっと後悔もし始めたのですが、いえいえとんでもないです!

終盤にかけての盛り上がり方は素晴らしい!

そして来ました! どんでん返し。

でも油断してはいけません。

もっと驚きのラストが用意されていますよ。

監督はコメディ映画で有名なビリー・ワイルダー

コミカルなシーンも多く、楽しめます。

そして何といってもマレーネ・ディートリヒ

1901年生まれだから本作当時56歳。

ラスト近く、彼女の驚きの演技、これは見逃せませんよ。

私もDVDで視聴したものですから、「あっやられた?!」と、わざわざ巻き戻して、そこだけ2度観してしまいました。

「真実の行方」の方は、薄々その結末も予想できるかもしれませんが、本作では全く予想外の結末が用意されていました。

もう63年も前の映画なのに・・・恐るべし。

2)日本語タイトル付け方に疑問?

本作の原題は「Witness for the Prosecution」

そのまま訳すと「検察側の証人

prosecution には、「起訴、訴追、検察当局、(仕事などの)遂行」という意味があります。

でも日本語タイトルは「情婦」

何なんですかね、このタイトルの付け方は?

と私も当初、疑問に思っていました。

「センスないな・・・」と。

でも本作を観終わった今、このタイトル「情婦」って、結構、深いな・・・と考え直しました。

なぜ「情婦」なんてタイトルを付けたのか・・・理解できたような気がしました。

深いんです。とても。

2.「情婦」の作品概要

作品概要

作品名:情婦(原題:Witness for the Prosecution)

監督:ビリー・ワイルダー

3.あとがき

本作はアカデミー賞に多くの部門でノミネートされながら受賞はありませんでした。

実は1957年にはあの名作十二人の怒れる男」(12 Angry Men)も製作されており、アカデミー賞にも3部門でノミネートされましたが受賞は逃しています。

この年、多くの部門でアカデミー賞を獲得したのは「戦場にかける橋」(The Bridge on the River Kwai)だったんです。

学生寮、そして下宿。共同生活には不向きな自分.......「ワンダーウォール」

本作はNHK京都放送局制作の「京都発地域ドラマ」としてNHKBSプレミアムで2018年7月25日に放送されたTVドラマ(59分)が、未公開カットを加えた68分間のディレクターズカット版として劇場公開されたものです。

脚本は朝ドラ史上最高傑作として名高いカーネーション」(2011)の脚本を書かれた渡辺あやさんです。

1.学生寮、そして下宿。共同生活には不向きな自分

1)学生時代は下宿生活

私も大学に入るとようやく実家を離れて一人暮らしを始めました。

自宅から通える大学というのは全く念頭にはありませんでしたね。

とにかく家を出よう、の一念でしたから。

当時の選択肢は学生寮か下宿かの二択。

でも私は学生寮に入る気は全くなく、下宿を探しました。

ただ大学合格してから下宿を探し始めたのですが、タイミングが遅かったのか大学に近くて安い手頃な下宿は既になく、自転車で数十分のところにある安いアパートの一室を借りました。

大変でした。

私は運動部に入部したものですから。

きつかったんです。疲れた体でまた自転車を何十分も漕ぐのは・・・

試合の日などは集合駅まで、早朝、自転車を飛ばしていったものです。

絶対に遅れられないので(運動部ですから)それは必死でした。

学校に通うだけでも大変な日々を過ごしていましたが、ほどなく友人の紹介で大学近隣に下宿をすることが出来ました。

古いですが大きな邸宅の2階の一部屋です。

すでに他の部屋は埋まっていたので、北西の部屋しか空いてはいませんでした。

勿論、風呂なし、トイレは一階に住んでる大家さんのを使用、洗濯機だけは学生用に一台用意してくださってました。

もうかなり古い邸宅でしたし、建付けが悪いのか、ガラス戸がきっちり閉まらず隙間風が入るような部屋でしたが、でもやっと憧れの下宿生活です。

大家さんには結構、ご迷惑もかけましたが、ここには2年生の終わりまで下宿させてもらいました。

残りの2年は大家さんとは別棟の建物で、学生だけが5~6名入るような下宿。

勿論、風呂なし、トイレ共同です。

私宛に電話が入ると向かいにある大家さんの家まで電話を借りに行くような、そんな生活でしたが楽しかったですよ。

平日は大学生協で、日曜は近隣の定食屋で夕食を、そしてこれまた近隣の銭湯に通う、そんな日々です。

名画座も歩いていけるような場所にあったので、毎週末あしげく通いました。

2)共同生活には不向きな自分

二択の内の学生寮

憧れはあったんですよ。

仲間との共同生活。

毎晩、酒飲んで語り合って・・・

いやでも私には無理という確信があって学生寮は選択しませんでした。

なんせ無精者なんです。

下宿時代もたまった洗濯物を黙って下宿先のおばさんが洗濯しててくれたことがありました。

嬉しかったのと同時にとても恥ずかしかった思いがあります。

学生時代に一番苦労したのが洗濯でしょうか。

なんせ面倒ですから。

どうしてたのでしょうね?

不思議に記憶にないんです。

苦労したはずなのに。

嫌な記憶は消し去ってしまったか・・・というくらいのものです。

そんな無精者なのに、他人のは許せないんです。きっと。

おかしいですよね。

でも確信があります。

自分は無精者なのに他人の無精は許せない自分がいます。

無精なのに神経質というやつでしょうか。

毎日毎日だから他人と共同生活は無理でしょうね。

絶~対、無理なはずです。

本作「ワンダーウォール」は存続の危機にある学生寮が舞台なんです。

ボロい!? いや見るからに汚い・・・雑然としています。

自分の物か他人の物かの区別もつかなそう・・・

でも活気があって楽しそうではあるんですけど。

思い描いていた学生寮、共同生活のイメージではありますが、自分には無理。

しかも女子大生も寮にいるんですよ。

凄すぎます?!

一方、自分には絶対無理と思っている共同生活をしている学生たちは羨ましいとも思うんですよね。

逞しいです。

青春を謳歌しているという感があります。

あんな雑然とした中で他人と共同生活できるなんて、それだけで凄いです。

本作はドキュメンタリーのようなフィクションなんですが、実は本当に存亡の危機にある学生寮を元にしているんですね。

私は何代にもわたって学生たちが営々と築いてきた、維持してきたものはやはり残すべきだと思いました。

自分にはとてもそこに入る勇気もなかったけど。

そんな学生寮で生活していける逞しい学生たちのために残ってほしいと思います。

3)Wonderwall

最初「ワンダーウォール」という映画のタイトルを聞いたとき、wonder なのか wander なのかわかりませんでした。

wonder なら「不思議、驚異、驚嘆すべきもの、奇観、奇跡」といった意味になりますし、wander なら「歩き回る、彷徨う、放浪する、迷う、横道にそれる」といった意味になります。

でも本作は、wonderwall のようですね。

直訳すると「不思議の壁」になるでしょうか。

ロックバンド、オアシスの曲に「Wonderwall」というのがあります。

この対訳は「彷徨う俺の終着点」なんだそうです。

wall は壁なので、そこから先に進めない、だから終着点と訳したのでしょうか。

でもwonder だけど「彷徨う」と訳してるんですね。

なら wander じゃないか、とも思ったりしますけど。

学生課にある日突然、透明の仕切り壁が立てられたことによって、学生たちと大学側とのコミュニケーションが急速に悪化していきます。

「不思議の壁」より「彷徨う壁」(これ以上先には進めない彷徨う俺たち)の方が合っているような気はしました。

「ワンダーウォール」このタイトル、奥が深いです。

考えさせられますね。

2.「ワンダーウォール」の作品概要

作品概要

作品名:「ワンダーウォール」

監督:前田悠希

脚本:渡辺あや